医療

2人の沈黙が言葉になった瞬間【精神科での実話】

はじめに
静寂の中の看護:言葉にならない日々の始まり

精神科の閉鎖病棟で看護師として勤務していた頃、私の日常は、他の病棟とは少し異なる"時間の流れ"の中にありました。

担当する患者さんのほとんどは、統合失調症と診断されていました。突然大声を上げたり、独語を何時間もつぶやき続けたり、妄想を何度も話しに来たり……。あるいは、ずっと黙り込んでいても、声をかけると小さくうなずくだけ──。本当に、さまざまな方がいらっしゃいました。

患者さんとのコミュニケーションも独特です。返ってくるのは軽く頭を下げるだけの人、話しかけてもすぐに話題が飛んでしまう人、言葉を発していても、何を話しているのか聞き取れない人もいました。

他の患者さん同士で言葉を交わすことも少なく、それぞれが、自分の内なる世界の中で静かに過ごしているように見えました。

そんな日々の中、私はときどき思っていました。

「このままでいいのだろうか」
「自分は、患者さんとちゃんと関われているのだろうか」

でも、言葉が少ないからこそ、私たち看護師は目の動き、表情、立ち振る舞い、息づかいの変化に意識を向けざるを得ません。言葉にならない"何か"に気づこうと、毎日神経を研ぎ澄ませていました。


第1章
3年の沈黙:言葉を持たない彼の世界

彼の姿は、どこか静かで影のようでした。病棟の廊下を歩くときも、食堂で食事をとるときも、ほとんど声を発することはありません。他の患者さんと会話を交わす様子もなく、孤立しているというよりも、むしろ"誰にも干渉されない世界"にいるように見えました。

私が彼の担当になったのは、ちょうどその病棟に異動になってから間もない頃でした。最初の頃は、朝の挨拶やバイタルサインの確認など、必要最低限の声かけを行っていましたが、返事はありません。目も合わせず、声も出さない──ただ、こちらの言葉をまったく無視しているわけではありませんでした。

たとえば、「熱を測りますね」と伝えると、わずかにうなずく。「血圧を測ります」と言えば、黙って腕を差し出す。こちらの声かけすべてに反応があるわけではありませんが、彼は確かにこちらの言葉を"理解しようとしている"ように思えました。

私は、毎日変わらずに彼に声をかけ、決まったタイミングで様子を見に行くようにしていました。話すことはなくとも、いつもの私の姿に、少し安心してくれているような雰囲気を感じることもありました。

3年という歳月の中で、彼との関わりは、言葉のない対話の積み重ねでした。決まった時間に顔を合わせ、同じようなやりとりを繰り返すうちに、私は彼の"いつもの様子"を少しずつ覚えていきました。

体調が優れない日は、歩き方に力がなくなる。気分が沈んでいる日は、目線が床に向いたままになる。そんな日常の変化を感じ取ることが、私にとっての"コミュニケーション"だったのです。

私が関わる前から、彼はずっとこの病棟で暮らしていました。病名は統合失調症。発症からの年数は長く、これまでにも何人もの看護師が彼と関わってきたと聞いています。私が特別なことをしたわけではありません。ただ、毎日変わらずに彼の隣にいて、名前を呼び、目を見て、必要な関わりを続けていただけ。

けれども、今思えばその積み重ねが、彼の中に"何か"を残していたのかもしれません。それを私は、後になって知ることになります──。


第2章
その日、彼が選んだ最初で最後の言葉

その日は、特に変わったことのない一日でした。日勤の業務を終え、ナースステーションで申し送りを済ませた私は、いつものように病棟を出ようとしていました。

時刻は17時過ぎ。廊下には、夕方特有の淡い光が差し込んでいます。「今日も、特別なことはなかったな」そんな風に思いながら、鍵のかかった病棟の出口に向かって歩いていました。

そして私は、扉の前に立ち、ポケットから鍵を取り出してそのまま鍵穴に差し込もうとした──その瞬間です。

背後に、誰かの気配を感じました。ふと振り返ると、そこに彼が立っていました。

普段の彼なら、ナースステーションの前に現れることはまずありません。決まった時間に食事をとり、同じ場所で過ごし、静かに自室へ戻る。自分から誰かに近づいてくることなど、滅多にない人でした。

その姿を見た瞬間、私は思わず足を止めました。

私が驚いて立ち尽くしていると、彼は静かにこちらを見て、口を開きました。

「……お疲れ様です。」

低く、落ち着いた声でした。はっきりとした発音で、ゆっくりと、丁寧に。それは、紛れもなく彼の声でした。

「えっ……喋った!?」

一瞬、頭の中が真っ白になりました。今、確かに彼の口から言葉が出た。しかも、私に向かって。あまりに突然すぎて、戸惑いと驚きが入り混じる感覚のまま、しばらく動けずにいました。

けれど、その一言は決して重苦しいものではなく、むしろ、とても穏やかで、あたたかく感じられました。

私は少し微笑んで「ありがとう。また明日ね」と返しました。彼は何も言わず、軽くうなずいてから、静かに病棟の奥へと戻っていきました。

その時の病棟の空気はいつも通りでしたが、私の胸の内には、しばらくざわざわとした余韻が残っていました。

3年間一度も声を聞いたことがなかった彼が、なぜあのタイミングで、あの言葉をかけてくれたのか。その意味はわからないまま──私は鍵を差し込み、病棟を後にしました。


第3章
翌朝の別れ:言葉が意味を持った瞬間

翌朝、私はいつも通り出勤しました。病棟のエレベーターを降りてナースステーションに向かうと、そこには、どこか張り詰めたような空気が漂っていました。

夜勤スタッフの一人が、私に気づいて顔を上げました。そして、少しだけ間を置いて、静かに言いました。

「○○さん、亡くなったよ。夜中に……」

私は立ち止まりました。

「……えっ?」

「巡回のとき、呼吸が止まっていて、蘇生も試みたけど……だめだった。死因は心不全だって。」

一瞬、頭の中が真っ白になりました。○○さん──そう、彼のことでした。

つい昨晩、私は彼と"言葉を交わした"ばかりだったのです。3年間で一度も声を聞いたことがなかった彼が、初めて私にかけてくれた、たった一言の「お疲れ様です」。その翌朝に、彼がこの世を去った。

私はその場で、何も言えませんでした。心の中に、昨晩の彼の声が何度も繰り返し響いていました。

「……お疲れ様です。」

あれは──彼なりの"さよなら"だったのだろうか。それとも、長く言えなかった"ありがとう"の代わりだったのか。

理由はわかりません。けれど、あの一言があったからこそ、私は彼との3年間の関わりが、たしかに"通じていた"と信じることができたのです。


第4章
二度目の奇跡:繰り返された言葉

彼が亡くなってしばらく経った頃、私は再び、ある患者さんの担当となりました。その方も、統合失調症の診断があり、ほとんど言葉を発しない方でした。うなずきや手の動きなど、反応はあるものの、言葉によるやりとりは一切なし。周囲とも距離を保ち、淡々と日々を過ごしているように見える方でした。

私は、その方にも毎日声をかけながら、慎重に関係性を築いていきました。返事がなくても、顔を見て挨拶をし、調子を尋ね、目の動きや表情の変化に注意を払う。まるで、あのときと同じような日々の繰り返しでした。

そして、ある日のことです。その日も日勤を終え、病棟を出ようとしていました。病棟の出口に向かい、鍵を手にしたそのとき──背後から、声が聞こえたのです。

「……ありがとうございました。」

振り返ると、そこにはその患者さんが立っていました。顔をこちらに向け、確かに言葉を発したのです。

私は、思わず息を呑みました。この感覚は、前にも一度──そう、あの「お疲れ様です」と言われたときと、全く同じでした。

何かがふっと浮き上がるような、現実の中に不意に"境界のにじみ"が現れたような、そんな瞬間でした。

そして、翌朝。

その患者さんも夜間に急変し、亡くなったと報告を受けました。夜勤スタッフによれば、巡回時にはすでに呼吸が止まっており、蘇生できず。医師の診断は、心不全でした。

……同じだったのです。

声を聞いた翌朝に、突然の死。言葉を発しないままに過ごしていた方が、なぜ最後のタイミングで、あえて"言葉"を選んだのか。

2度目となると、偶然とは思えなくなっていました。説明はつかない。けれど、確かに、起きたのです。


第5章
言葉を超えて:沈黙が教えてくれた心の繋がり

2人の患者さん。どちらも、言葉を発することはほとんどありませんでした。日々のやり取りは、うなずきや視線、わずかな表情の変化だけ。けれど私は、彼らと確かに"関わっている"という感覚を持っていました。

精神科での看護は、一般的な"言葉によるケア"とは異なる場面が多くあります。だからこそ、私たちは言葉だけでなく、表情、態度、そして存在そのものが患者さんに与える影響を意識せざるを得ません。彼らは、私たち看護師の"見守る"という行為の中に、安心や信頼を見出してくれていたのかもしれません。

ただ黙っていたわけじゃない。ただ聞いていなかったわけでもない。言葉を持たない分だけ、彼らは別の手段で"受け取っていた"のです。目の動き、息づかい、私がそこにいるという事実そのものを通して。

そして、亡くなる直前。彼らは、まるで言葉を選び抜いたかのように、たった一言を私に届けてくれました。

お疲れ様です。
ありがとうございました。

その言葉がどれだけの意味を持っていたのかは、今でもわかりません。本当に、たまたまだったのかもしれない。けれど私は、あの瞬間が偶然ではなかったように思えてなりません。

"何かを伝えようとしてくれた"
"最後に声をかける相手として私を選んでくれた"
──そう感じてしまうのです。

この二度の経験は、私に非言語コミュニケーションの重要性を改めて教えてくれました。彼らが感謝の気持ちを、彼らなりの最大限の表現で伝えてくれたのではないか。目に見えない変化や沈黙の中の意味を探りながら、"心の奥にあるもの"を感じようとする時間こそが、精神科看護の真髄なのだと。

「伝わっていないかもしれない」「関われていないかもしれない」そう思っていた3年間が、あの一言で報われた気がしたのです。

看護は、結果がすぐに見える仕事ではありません。とくに精神科では、なおさらです。でも、確かに"届いていた"と感じられる瞬間が、こんな形で訪れることもある──

それは、私にとって忘れられない看護師人生の"宝物"です。


おわりに
声なきコミュニケーションが遺した宝物

私たちはつい、「言葉がなければ、伝わらない」と思いがちです。でも、今回の2つの出来事を通して私は、"伝わる"とは、声や言葉だけではないと感じました。

沈黙の中で何年も共に過ごし、いつもと変わらない日常の中で、ふと交わされた一言。それは、長い関係の末にようやく届いた、あるいは最初で最後にして最大の"コミュニケーション"だったのかもしれません。

言葉にできない想い、言葉では測れない関係性。

看護という仕事は、その"見えない部分"と向き合う営みなのだと、今あらためて思います。患者さんとの一つ一つの出会いが、どれほど貴重で、そして深い意味を持つものなのかを、この二度の別れは私に再認識させてくれました。

あの日、確かに聞こえた「お疲れ様です」と「ありがとうございました」。 私はこれからも、その声を胸に、患者さん一人ひとりと、静かに、誠実に向き合っていきたいと思っています。

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